流れる雲のように・・・
 
エジプト、トルコ、その他海外、旅の思い出・・・
 



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タフリール広場での危険なカイロ大学生 最終話

名も知らぬエジプト人の個人の家の居間
フカフカの絨毯に、ちょっとゴージャスな乾燥レンガ?の家。
アラブの金持ちの家のような、イメージとしてはそんな家。
何故かカイロ大学で勉強をしているという「ガラベーヤ」(民族衣装)を着た日本人がいる。
そんな状況を目の当たりにして、
殺されるとか物を盗られるという心配からは開放された。

俺に差し出されたグレーの衣装
それはガラベーヤだった。
これに着替えろと言う・・・・・
(エジプト流のもてなしかな・・・・・?そう思った)

ガラベーヤに着替えると、直ぐ裏のピラミッドコンプレックス?マスタバ墳?へ案内された。
観光客など誰もいない、夕方の砂漠。
係員のような男たちも数人いたが、関係なくカイロ大学の学生だと言うエジプト人に案内される。
英語で親切丁寧に説明をしていた。

誰もいない世界で沈みゆく夕日と砂漠の遺跡
あの時俺は感動していた

ただ、その日の午後10時にはカイロを出発してアスワンに向かう列車に乗らなければならなかった。
その事が気に掛かり、時間の経過だけが気になっていた・・・・・

「泊まっていけば?」
そう言ってくれたエジプシャンだが、
列車のチケットももう買っていたので、それを断りカイロへ戻る事を告げた。

その時だった
遺跡の係員のような男たち6人と、そのカイロ大学生だという二人に囲まれ、金銭を要求された。
「600LE エジプトポンド!」

一瞬にして切れてしまった!
大学生を砂漠に押し倒した!
しかし、すぐに周りのエジプシャンに引き離され、状況は一変して俺に不利となった。
8対1・・・・・
ガラベーヤを脱ぎ、砂漠へ叩き付ける。
日本語で「ふざけんじゃね~ぞ!」と怒鳴るも、むなしい遠吠え。
大学生がいうには
「時間外に特別に案内したし、係員たちもお金を欲しがっている」との事。
600LEエジプトポンドは日本円にして1万1~2千円位 エジプト人公務員月給の1.5倍の金額だ。
8対1 時間外・・・・・  知らない男たちについていった俺が馬鹿だった。
ここで問題を起こし、置き去りにされたらたまったもんじゃない、タクシーも観光客もきそうもない、何処だかわからない場所、夜の砂漠、のたれ死んでも不思議ではない。
財布には相当の金額を入れていたが、生き延びる為、カイロへ帰る為、300LEで何とかごまかした。

カイロまでは送ってくれるという
断りたかったが、タクシーも拾えそうもないし、カイロまで送ってもらう事に。
無言の俺に、陽気に話しかけるエジプシャン。
いつしか俺も怒りが収まりかけていった。
(まぁ~、普通の旅では味わえない体験、そうおもえば逆にラッキーだったじゃないか! 一般エジプト人の家でシャイも飲んだし、ガラベーヤも着たし・・・・・)
送ってもらう車の中で、そこまで考えられるようになった。
そして車はカイロ市内、地下鉄のギザ駅の前へ。
何故か最後は笑顔になって、握手までしていた。
そして別れ際に、エジプシャンの一言
「ここまで送ったから、50LEちょうだい!」
「・・・・・・・・・・」

タフリール広場で声を掛けてくる、カイロ大学生だという男たちに着いて行ってはいけない!



12月31日(土) | トラックバック(0) | コメント(4) | EGYPT | 管理


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